rewritemath's blog

議論のやり方(初版2)前提知識

前提知識

 

第一

ゲーデル不完全性定理

 

世界には様々な問題が存在する。問題とは、我々に立ちふさがる解決したい困難という意味であって、クイズとして人間が出したものみたいなものは今回の話から外させていただく(結局はこっちも話に入ってくるのが厄介だが、それは今はまだ気にしなくていい)

 

それを考えたいと思ったので、哲学者や数学者はこの世の真理とかいうものを探していた。真理が分かれば全部分かるはずだという訳である。

 

しかし、「真理なんか分かるわけがない」と主張する者が出現するのである。

 

諦めちゃだめだ!

そんな根性論で対処するという行為は真理を追究する姿勢として駄目なので、こうすれば真理に到達できるとか、真理とはなんなのかについて人々は考えることにした。

 

人間に分かる範囲じゃないもんが世界にはあるんだ!それについて考えたとしても、結局はなんも分からんじゃろ???

という不可知論の主張が出てくる。不可知論などと言われたりする

 

さて、対処しよう。考えて、真実を導くのだ。

「そもそも我々は、不可知論に対抗できるのであろうか」

ビッグな問いである。

 

という訳で、我々はとりあえず、議論の方法から詰めてこうという話になる。こういうことは数学者に話を聞こう。数学者はそういうことを考えているはずである。

 

ヒルベルトは、数学を記号によるゲームとみなして無矛盾性を証明する形式主義によるヒルベルト・プログラムを提唱したが、ゲーデル不完全性定理によって、その実現の不可能性が示された。また、数論を展開するのに十分な体系に見えるペアノの公理系では証明できないグッドスタインの定理など、特定の公理系では証明も反証もできない問題が数多く見いだされた

 

wiki数学基礎論から拾ってきたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E8%AB%96

 

どういうことかというと、

ヒルベルト大先生が数学の論理には矛盾がないことを示そうとして、ヒルベルトプログラムっていう計画を練っていたけど、ゲーデル先生によってそれが不可能だと示されてしまったよ」

ということ。これは数学の言葉なので説明しておくと、示されるというのは、「とある何か」が正しいことを証明されるということです。

 

 

 

別の説明をすることで皆さまの理解を促進しようと思います。

「数学によって示されていることは全て正しいことであり、正しいことから論理を繋げていって出来ている数学の知識たちは、全部まとめて正しいってことを証明したい!」

という話が最初あったわけです。

まぁ、数学って直感的に全部正しいこと言ってるんじゃないのー?とか、数学の問題が正しいか正しくないかって全部計算したり論理をごにょごにょやってれば決まるんじゃないのー?ってのはイメージとか直感で思いますよね。皆、そういうものが数学だって思って数学を使っていますからね。

でも、実際にそれを証明した人は居なかったので、

 

「じゃあとりあえず、皆の使ってる数学がちゃんとしたものだよって証明して安心しよう」

 

ということになります。

 

ヒルベルト大先生、数学界の重鎮が、こういうことやろう~って言ってプロジェクトを立ち上げました。ヒルベルトプログラムです。

 

ところが、ゲーデルがやってきてそれを壊すようなことを言い出します。

通称:ゲーデル不完全性定理

 

難しいことなので全部吹き飛ばして結論だけ言うと、「完璧な理論であるなら、その理論は自分が完璧であることを証明できない」ということです。

まだ難しいですね。

簡単にすればするほど厳密さが失われていくのですが、誤解を恐れずに言うと、

 

「数学くんが完璧だとすると、数学くんは数学くんが完璧であることを証明できない」

 

ということで、これはつまり、「数学が完璧であることを皆で証明する!」っのは無理だったということになります

 

(あぁ…こんな誤解しがちな文章書いたら怒られちゃうよ…)

 

そして実際に、照明も反証もできない命題が沢山発見されましたとさ。ちゃんちゃん。

 

 

ここから我々が得るべき結論はこれだけでいいです。

証明も反証もできない(それが真か偽か(正しいか正しくないか)が分からない)ものがあるよ!

 

続きます