rewritemath's blog

なぜワクチン反対派や疑似科学が生まれるのか(主に理系向け)

理系の皆さまへ

 

まずは、日本国民はどの様な現状にあるかを共有する。バイアスがかかっている人が居ると議論に支障をきたす。

諸君らの大半は、全体から見て比較的裕福な家庭に生まれた人であると解釈されているし、統計も外観としてはそれを示唆している。

何故なら、大学に進学する人はそもそも人口全体の全体の半分だからだ。

f:id:rewritemath:20190601234905j:plain

文部科学省:H28年度学校基本調査,報道発表資料)

出典

*1

 

大学に進学するのが当たり前という周囲の環境であった人も居るだろう。加えて、大学に進学した人のうち、どういった学部に進学しているのかを示すデータを見せる

f:id:rewritemath:20190601235648p:plain

出典*2

私立文系こと私文の割合が極めて高いことが分かる。では、割合で見ようか

f:id:rewritemath:20190602000330p:plain

出典*3

 国公立は一般的に偏差値も高い傾向にある。中でも理系は数学Ⅲの負担もある。大学に進学するのは半分。加えて、国公立理系に進むのはその中で1割。つまり、国公立理系に進学する人間は日本国民のわずか5%程度でしかない(正確な計算は有志に任せる)

 

ものすごく雑なことを言うと、 国公立の理系学部の状態を知っている人であれば、日本国民の上位5%の人間の科学リテラシーというものがある程度想像できるのではないだろうか。という話をしたかったのである。極めて荒い話となってしまったが、なんとなく危機感を抱いてもらえたら狙い通りだ。

 

 もう大体分かったよって人はここでブラウザバックでもかまわない。しかし、実はここからもっと絶望的な話をすることになるので、これ以上に絶望的な話があるか?と疑問を抱く人は続けて読んでくれれば損はさせないつもりだ。

 

 まずは、国民の能力がどの程度であるかを皆様に知ってほしい。というか、私がまとめるよりもずっと分かりやすいから、まずはこのPDFを読んでほしい。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/__icsFiles/afieldfile/2013/11/07/1287165_1.pdf

文部科学省HPより、国際成人力調査(PIAAC)

 *4

 

 日本の成人の能力はOECD諸国と比較して、軒並みトップである。

(3項目で得点が付き、日本は「読解力」と「数的思考力」でトップ。「ITを活用した問題解決能力」では、習熟度の高い人間の割合は10位だったものの、日本は紙での受験者が多かったことが反映されており、コンピュータでの受験者だけでの集計では日本人の平均は首位)

 

よく読めば、後期中等教育未履修の日本人は、後期中等教育履修のアメリカ人やドイツ人よりスコアが高いことまで分かる。(後期中等教育は高校のことだ)

 

 では、OECDでトップを張る日本人の能力がどのくらいなのか。つまり、習熟度レベルがどの程度の能力に対応するのかという話である。

 

次にこれを読んで見て欲しい。少し誇張して書かれている感も否めないが、受け止めるべき事実の解釈として本質から外れてはいないように思う。

 

https://bunshun.jp/articles/-/10714

言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」

「国際成人力調査」の結果概要

(1)日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。

(2)日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。

(3)パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。

(4)65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

 

 

 

 

さて、この問題が語られにくかったり、認識されにくかったりする理由はどういったものがあるかというと、

  1. 学歴が離れた人間と同じ環境で過ごす機会は多くない(受験をするからそこで同程度の学力レベルの人間とばかり過ごすようになるし、成人の代表として最も長い時間観察することになる親は、大体子供に本人と同程度の教育を受けさせようとする)
  2. 下から上を見るのは困難で、解釈も難しい。それに、「勉強しなかったからその位置に居るのだ」と批判される風潮がある
  3. 上から下を見ることはあまりなされない。理由として考えられるのは、馬鹿にしているとみなされるからだろう

 

メディアが偏向報道をするとか、情緒に訴える報道をするとか、視聴率を露骨に稼ぐために正確性のないものと沢山取り上げるとか。こういう話は多く聞くが、実はその消費者が結構な数存在するということを表しているのかもしれない。

 

明らかに話の通じない人間をたまに見かけた時に、そうした人間は実は結構な割合で存在するのだということを是非認識しておいていただきたいのだ。

 

そして、ワクチン反対派はなぜワクチンに反対するのか。

まず、彼らの多くは有識者の発言の意味が分からない。分からないと言って馬鹿にされるのが怖いので、分かったふりをしているのかもしれない。そして、分からないというと、相手からは「そんな人間が居るのか?」「よく考えてみな?分からないわけないだろ?」「こんなに簡単なことなのに」「この程度の教養もないのか」という声が聞こえることもある。

 

対して、ワクチン反対派の主張は、「分かりやすい」「私でもわかる」「学者さんに比べて親切にしてくれる」という訳だ。分かりやすさには不正確性もともないがちだ。それを有識者に指摘された際に「それはそうですが…」などと言い淀んでいては、ファンは置いてかれてしまう。「私が正しいんです」と言ってくれさえすれば、ファンは気持ちが楽なのだ。

一応言っておくが、分かりやすいというのは、彼らが分かった気になるということだ。言い換えれば、分かった気にさせるのが上手い。「分かった気分でいること」と「分かった(理解した)」ことの差異も正確に理解できないまま、「正しいことを聞いている」と錯覚するのである。

「私たちは分かった。貴方も同じ説明を聞けばわかるはず」

「あなたの言っていることは分からない。私を馬鹿にしているの?あえて分からないように言っているの?」

という調子だ。

 

一応言っておくが、これを知的怠慢であると指摘したりする事はあまり効果があるとは言えない。その指摘は正しくても、正しいからといってだから効果がある、とは言えないのだ。

 

勿論、多くの扇動者が生まれて危険な思想を振りまくので、それに対抗する必要はある。しかし、その対抗の方法論も、未だ完成していない。

 

我々に必要なのは、まずは現状の認識なのである。

 

日経サイエンス  2019年4月号

特集:分断の心理学

SNSが加速するタコツボ社会

http://www.nikkei-science.com/201904_044.html

東日本大震災の直後,人々はSNSで発信する科学者の言葉に耳を傾けた。だがその後急速に,科学者の言葉は届かなくなった。

 

科学コミュニケーションや科学ジャーナリズムと社会の関係を研究している早稲田大学准教授の田中幹人と同大研究員の吉永大祐らは,このほど,原子力発電所の事故から3年間にツイッターに投稿された「福島」に関する発言を抽出し,誰の発言がどのように共有・拡散されたかを網羅的に解析した。そこから浮かび上がったのは,巨大災害の直後にはコミュニケーションの要となっていた科学者たちが急速に影響力を失い,科学を懐疑的,あるいは陰謀論的に見る人々に取って代わられていった過程である。わずか2年の間に,科学者たちの声は科学者とその周辺,そして一部の保守層にしか届かなくなった。東日本大震災から8年目を迎えた今,SNSという新たなメディアで福島がどのように語られてきたのか。そこに科学者らがどのようにかかわっていたのかを探った。